まいにち、なっちゃん。

だいたい、まいにち、だいばくしょう。

何もできない勇気ってやつ。

自分のことは世界中の誰よりも愛してるけれど、自分という人間は割と劣等感の塊です

(それも含めて愛してるってこと)

学生の頃から部活も途中で辞め、学校も行かなくなり、卒業してからもバイトも中途半端

病気を理由に仕事をせず、ボランティアや習い事に励むも、結局それも行かなくなったり、、

 

自分という人間は、何かを〈極める〉ってことが全くないような人生な気がしていて

何も何一つも出来ないような気がしてなりません

 

なので、基本的に

「世の中の人より自分は劣っている」

と、常々思っているので、基本どんな人に対しても尊敬の眼差しを向けています

コンビニでレジをパパッと打っている人にさえ、すごいなぁ、覚えたんだなぁ、と感動してしまうぐらい

なので必ず「ありがとうございます。」と言いがち(笑)

 

でもある日子熊主人に言われました

なっちゃんは自分のことを下に見るのやめた方が良いよ。」

 

あとは、知り合いの方に

「私はなっちゃんみたいにお料理出来ないですよ。」

など、、

 

でも、そう言われるたびに

いやだって下だし、、

いやだって料理なんて誰でも出来るし、、

と、本気で思ってしまい

素直に受け取れない自分がいました

(あ、でも嬉しかったですよ)

 

そんな自分に嫌気がさすわけでもないし、落ち込んで辛いとか悲しいわけでは全くないのだけれど

そういう自分がいるなーと常々思っていたのであります

 

 

でも最近新たに言われた言葉

なっちゃんは、好きなことがいっぱいあるじゃない。」

と、その方が言うには

好きなことって自分が出来ることに繋がってることが多いらしい

 

例えば

なっちゃんは、自分の好きな服がきちんと選べる、部屋を可愛く飾れる

なっちゃんからしたら細やかなことかもだけど、それだって誰でも出来るわけじゃないんだよ!と

 

あたしの中で、何かが出来るっていうものは

誰か人の為になったり

仕事になったり

お金を生み出したり

誰かを喜ばせたり、、

なんだかそう思い込んでいたのだけれど

別に人の役に立つものじゃなくたって良いじゃない

と、、

 

 

目から鱗でした。

 

自分で自分を喜ばすことが出来ることだって

〈大切なわたしの出来ること〉

自分で自分の好きなことやものが分かってることは、世界中の誰の役に立たなくたって

間違いなく自分の人生は穏やかになるわけで

それはとてもとても幸せなこと

 

好きな作家さんである 甲斐みのりさんが

自分の好きなことをノートに記している、と前に何かで話していたことを思い出しました

それはどんなに小さなことだとしても、気付いた時に書いているのだとか

それは甲斐さんにとってとても大切なことだったようで、その後の人生に大きく影響を与えたようなのです

 

 

あたしは

自分で言うのも何ですが、好きなものはものすごく多く

そして、自分の好きなものがはっきりしています

でももしかしたらまだまだあるかもしれません

そしてそして、その中にもしかしたら

〈私の出来ること〉

そんな何かがあるのかもしれません

 

何も、何一つも自分にはないと思っていたそんな何かが

 

 

そんなことを最近考えております

それがね、すんごく、幸せなんですよね