好きな映画とは、おそらく100回観ても好きな映画だ
その中の一つに、『アメリ』がある
最初観た時は主人公アメリのいじらしさ、、なんなんだこの面倒なおなごは、、と、イライラした事を覚えているのだけれど
今となってはそのアメリの面倒くささに泣かされるという、不思議な現象
人って変わるのね、と思う出来事の一つ
アメリは特殊な家庭環境で育った為、空想の世界に癒しを求め
人と接する事をあまり得意としない
やっと出来た好きな人にも遠回しなことをしてしまう
みんなのことをほんの少し幸せにしようと奮闘するやり方もちょっぴり下手っぴというか不器用というか(もはや犯罪というか)
このブログの主人公、なっちゃんは
子供の頃から友達が少ない方ではなかった気がするが、とにかく人と過ごすのが苦手で
出来る事ならひとりでいたかった
休み時間はみんなで外で遊ぶよりひとりで図書室で本を読んでいたかった
『何故みんなと同じ事をしないといけないのか』
『何故みんなと一緒にいなければいけないのか』
何故、学校の先生には「協調性がない。」と、言われてしまうのか
そのなんとなーくのモヤっと感は中学で膨れ上がり、結果学校に行けなくなったり、病気になったり、、と、そこからは結構大変だったなぁ
そんな自分をずっと責めていた
友達と遊ぶことより、ひとりでいるのが何よりも好きな自分
何故自分はそうなのだ、と
そんな自分とアメリをふと重ねてみてしまった
ひとりで何処までも行けるし
ひとりでご飯を作りひとりで食べる
そして、いつも頭の中では色々な物語が広がっているから、ひとっつも寂しくない
それって、それって、いけないことなのか
数え切れないぐらい悩んだ結果
なっちゃんは、この自分で良かった、と今思えるのだ
そんな自分だから、学校へ行けなくなったり、病気になったりしてしまったわけだけれど
だからこそ気付いたこと、出逢えた人、考えたこと、向き合ったこと
今こうしてこの人生に紡がれていったのは、間違いなくそんな自分だったからだ
それは、アメリだってそう
変テコなアメリだから、変テコなニノを好きになったわけだけれど
でも、その結果誰よりも寄り添える存在に出逢える
ご近所のおじいさんがあんなに必死になってアメリの幸せを願ったのは
アメリが面倒で、いじらしくって、色々なことをみんなみたいに器用に出来ないから
だからこそあのおじいさんはあんなにもアメリが愛おしくなったのだろう
なっちゃんの人生は
映画のように壮大でもなければ、ファンタジーでもないかもしれないけれど
間違いなく今言えることは嘘偽りなく、真っ白な気持ちで「幸せ。」だと思える
ただただひとりでいるのが好きだったけれど、同じぐらい一緒にいると穏やかな気持ちでいられる主人と出逢えた
だから、なっちゃんは
映画『アメリ』を観ると、アメリの人生はめっちゃくちゃかもしれないけれど
最後アメリが心から幸せになった瞬間に、アメリのすべての選択は正しく、アメリにとってアメリの生き方は正しかったと思える
それと同時になっちゃんの人生も
何も出来ない、何もしてない、めっちゃくちゃな人生かもしれないけれど
何よりも正しく、何よりも自分らしく生きてこられてると思える
何故なら「幸せ。」だから
人生は
何をしてるか
ではなくって
どんな自分で生きてるか
が、きっと大事で
そして、「幸せ。」と、言えるならば、なんでもありな気がする