まいにち、なっちゃん。

だいたい、まいにち、だいばくしょう。

ものを持つ暮らし。

なっちゃんの永遠のテーマ〈物欲〉



最近、立て続けにアクセサリーが壊れた

一つは既製品、もう一つはヴィンテージ

それはそれは悲しく、身に付けられないなんて考えられなかったので、もちろんどちらも修理に出す事に


それがなかなかの修理費となる様子…

特に当たり前だがヴィンテージものは難しく、何件か回って断られてしまったのを、なんとか受けて頂けて本当に嬉しかったのだけれど

ちょっと大変な修理になるとの事


ここで改めて考える 「ものを持つという事」


ものを持つ事には必ず責任がついて回る

まぁ手放してしまう事は簡単なのだけれど、やっぱりこだわりが強い自分は一つ一つ思い入れが強いものを迎えてしまうことばかりで

簡単に手放す事は到底考えられないのだ

という事は、やはり管理、維持、は必須なわけである


それはやはりものが増えれば増えるほど、、だ


身に付けるものも増えれば増えるほど、壊れるものももちろん多くなるし

直さなければならないものも当たり前に増えるわけで

改めて自分の身の丈って、ものの量とも繋がっているのかも、、って思った、思う、うん、思う、、


自分がきちんと大事に出来るものの量って絶対限られる気がする

ましてやあたしはズボラだし

身に付けられるものは絶対身に付けたい、それはヴィンテージでもなんでも

飾っておくだけでは絶対嫌なのだから


今までは場所の心配だかりしていた

これを買っても置く場所が、、とか

これからはそれとプラスして、ちゃんと大事に出来る?と、自分に問いかけようと思う




ヴィンテージのブレスレットを今回修理に出したのだけれど、それもとても大切なお店で購入した思い入れのある宝物

壊れてしまった時本当にショックで

色々な場所で「これは修理は出来ない」と断られる度、悲しくて悲しくて、、

コレクションケースの中で眺めて楽しむ宝物としようか、、と半ば諦めかけていたところで

引き受けて頂けて


「前と同じには出来ないかもしれないけれど、ブレスレットとして使えるようには頑張ってするよ。」


と、言ってもらえた時、本当に嬉しかった


やっぱりあたしはこの気持ちを自分の持ってるものたちにそれぞれ持ちたい

という事はこれ以上はもう絶対ないのかもしれない

何処かで知らない誰かが埋もれてるのはもう嫌だなあ